櫛形町にて鎮西小笠原流流鏑馬奉納が行われる
去る平成9年5月10日、小笠原氏発祥の地であり小笠原流礼法のふるさとである
山梨県中巨摩郡櫛形町にて、鎮西小笠原流流鏑馬の奉納が行われました。
宗家 源 長統 鎮西小笠原流流鏑馬の由来
流鏑馬は、「矢伏射馬」或いは「やばせうま」と言い、
「ながれるかぶら」と書くのは「鏑」を飛ばすことで、
馬を馳せながら「鏑」を射る意味を文字としたと伝え
られています。
今から約900年前の「流鏑馬」は朝廷警護にあたった
「滝口」「随身」などが射手となったもので、公卿の催し
して朝廷の行事の中で「騎射」として、平安時代、盛んに
おこなわれておりました。
源氏の道統としての「流鏑馬」は清和源氏の始祖
「六孫王経基」
清和天皇の御教えを受け、
これが「源氏の騎射」として伝承され、宮中の大儀として
儀式には必ず行われ、鎌倉幕府が開かれてから後は、
武家の儀式として盛んに行われるようになりました。
平成9年5月10日の「小笠原流流鏑馬」は、「源 頼朝」の
弓馬礼法の師範であった、小笠原氏の祖「小笠原長清」
より連綿と続く「小倉小笠原藩主家」である、
小笠原惣領家に伝わるもので、同じ「源氏」の流れを汲む
「宗家 源 長統」一門の奉納でした。
鎮西小笠原流流鏑馬
宗家 源 長統 氏
流鏑馬の当的
「的」は径1尺8寸の方形のヒノキの板で
竹串にはさんで立てます。
古来より流鏑馬の「当的」は貴重で、
縁起の良い物とされております。
「蛇」を払う「鷹」の羽を使用した「矢」で
射られた「当的」は、魔除けや悪魔払い
として玄関や門口、神棚にお祀りされます。
流鏑馬の射手
流鏑馬の当的
【引用文献 平成9年5月10日山梨県中巨摩郡櫛形町小笠原流流鏑馬奉納時配布資料】

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